唯識において、「種子」という、いろいろの現象を起こさせる可能性である、可能力があります。
ベルクソンは「世界はイマージュの総体」だと言いました。
イマージュ ≒ 種子 と解釈すると、
唯識においては、「世界は種子の総体」だと言えると思います。
また、阿頼耶識には「倶有の種子」という他者と共通した種子があります。
各個人の阿頼耶識には、必ず1つの倶有の種子があり、そういった意味で、ライプニッツの言う「支配的モナド」と言えるような気がします。
ライプニッツの言う「支配的モナド」は、魂としての意味合いもあります。
ゆえに、魂 ≒ 支配的モナド ≒ 倶有の種子 であると言えます。
そして、種子 ≒ 量子 と捉えると、
量子 ≒ 魂 であり、
1量子1魂であると解釈することができます。