ふるふる哲学

今までいろいろな教えに触れてきましたが、私は「神人さん」の教えが、真の教えとしてとてもわかりやすく感じました。 神人さんの教えに興味のある方は「神人講演会」に参加されることをおすすめいたします。

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お金の本質と、現実の本質について、私個人の解釈

投稿日:2023年5月19日 更新日:

実はお金そのものに、本質的な意味は無いのではないかと私は思う。
お金そのものに意味があるのではなく、お金を通して「どんな想念を生み出すか」に本質的な意味があるのではないか。

源をニュートラルな0に例えるなら、
我々の住む現実世界は、ポジティブな想念とネガティブな想念の振り幅がとてつもなく大きい世界であるといえる。
そして、より高次元の存在になるほど、ポジティブな想念とネガティブな想念の振り幅が小さくなっていくのであろう。

つまり、現実世界を認識するとは、そのポジティブな想念とネガティブな想念が、現実としてスクリーンに映し出されている状態であるといえる。

ポジティブな想念とネガティブな想念は表裏一体であり、ポジティブな想念の体験度合いが大きいほど、その反動でその分のネガティブな想念を体験する。

一方、ニュートラルな想念は、ポジティブな想念とネガティブな想念の振り幅を小さくしてくれる作用があり、それがすなわち「浄化」であるといえる。
「統合のワーク」とは、ニュートラルな想念により、ポジティブな想念とネガティブな想念の振り幅を小さくする浄化作用のことであり、
統合のワークと同様の効果として、「徳を積む」があると思われる。
また、「目醒めや眠りという二元のジャッジをしない」という思考法も、その効果は「統合のワーク」と同様であると思われる。

お金をポジティブな想念に使うこともできれば、お金をニュートラルな心地良い想念に使うこともできる。
お金そのものに意味は無く、お金を通してどんな想念を生み出すかに本質的な意味がある。

人間関係も同様であり、人間関係を通してどんな想念を生み出すかに本質的な意味があるといえる。
ネガティブな想念を与えると、与えた側も与えられた側も同様にネガティブな想念を生み出す。それにより波動は低くなっていく。
ポジティブな想念を与えると、与えた側も与えられた側も同様にポジティブな想念を生み出す。
だが、その反動でネガティブな想念というカルマも生み出す。
そして、ニュートラルな想念を与えると、与えた側も与えられた側もニュートラルな心地良い想念を生み出し、浄化作用を生み出す。これにより、波動は上がっていく。

目醒めている人の特徴に、心地良さからブレないという特徴があると思われる。
それと共に、様々な制限の概念を外していっているという特徴もあると思われる。

世界一周動画をYouTubeに投稿されている方がいる。
その人は、たしか400万円くらいを貯めた後、脱サラして世界一周を成し遂げた人。
実際に世界一周動画を見て思うことは、世界一周するには決して多くは無いお金を、「現地の人とのコミュニケーションと信頼関係を築くこと」によって乗り切っていることがわかる。
そして何よりも、何が起こるかわからないような場所に1人で飛び込んでいって、現地の人とすぐに仲良くなるという、
このマインドが、制限を外していった先にあるマインドではないかと私は思う。

また、ほかの投稿者の中には、自分の人生観を変えるためにインドに行きたいと言い、英語もつたない、ヒンドゥー語ももちろん話せない、そんな中本当にインドに行って楽しんでしまう、そんな動画もある。
そこからわかることは、「英語がしゃべれないから…」という概念も眠りの幻想なのだということである。

また、某YouTuberでヒッチハイクだけで国を横断しようとする動画もあったりする。
「お金が無いから…」というのも眠りの幻想なのかもしれない。

もちろん、海外旅行に限ったことではなく、様々な場面においても同様のことが言えるのかもしれない。

そしてこれらの例からわかることは、
鍵となるのは「人との繋がり」であり、人との繋がりさえあれば、様々な制限を超えることができてしまうという事実である。
目醒めている人は、人との繋がりで従来の制限を超えていっているように思える。

また、そういった「制限を超えていく人」がいる、その裏には、そういった人たちを陰ながら支えている人たちがいるという事実もあり、
陰ながら支える人たちもまた、目醒めの波動があるからこそ支えることができるのだと思われます。

~追記~
存在している存在は、例外無く「自らに意味を与えている」

人間という生き物は、常に何かしらの「人生の意味」を自らに与え続けたいのかもしれない。
「OSについて勉強する」というのも、勉強して知識を得るという意味を自らに設定している。
子供を授かって育てるというのも、自らに与えた人生の意味であり、向かっていく先である。
スピリチュアルであれば、「目醒める」ということ自体が、自らに与えた「目醒め」という人生の意味であり、向かっていく先である。
スポーツであれば、優勝という目標を意味として設定している。
常に何かしらの向かう先の意味を与え続けているのが人間なのかもしれない。

そしてそれは、仏教のお釈迦様でさえ同様のことが言える。
真理を悟りたいという人生の意味を自らに与え、悟りを開き、
悟りを開いた後は、仏教僧団をつくり、教えを広めるという人生の意味を自らに与えた。
最初から最後まで人生の意味を与え続けたことには変わりはない。

菩薩道も同様のことが言える。
全ての生きとし生ける存在が悟りを開くまで自らは教えを広め導き続けるというのが菩薩道であるが、
その導くこと自体が自らに与えた人生の意味である。

宇宙存在やアセンデッドマスターという存在においても同じことを言うことができ、
宇宙から我々に向けてサポートを与え続けて、人々を良い方向に導く、
菩薩道と同じようなもので、意味を自らに与えている。

神様も同様で、
「意味を自らに与えている存在」という意味でいうと、我々人間も神様も同じであると言える。
どの立場になっても本質は変わらないのであろう。

宇宙そのものに絶対的な意味は無い。
絶対的真理を言うなら、「全てに意味は無い」
絶対的な意味が存在しないからこそ、意味は自ら自分に「与える」ことができる。
存在するすべての存在は例外無く、自らに意味を与えている。
だから今存在している。

~追記~
目醒めていると感じる人の中には、こういう人もいる。
その人は、山の一部を購入し、友人の手を借りながら自ら森を開拓した。
そして、野菜の栽培をし、建物も自力で建て、そして自給自足生活をしている。
自給自足生活をする傍ら、キャンプ場の経営も行っている。

このような生活に至るまでの過程には、インド等のアジアを放浪した経験、ゲストハウスを経営した経験もある。
多様な生き方に触れていく中で、自然豊かな場所での暮らしを選んだらしい。

そして、一言で自分を表現したらどんな人ですか?と聞かれ、彼は「宇宙のチャイルド」と答えた。
「まだ宇宙の中では子ども。ずっと死ぬまで宇宙の遊びをしながら今回の人生は過ごします。」

文献:https://youtu.be/nX5y3KZVA1g

また、無人島でサバイバル生活にチャレンジした女性の方もいる。
流木や竹でテントを作り、貝であったり釣りであったり食べれる野草やワカメを採ることで食料を確保、水場も確保し、火は焚き火台を使っていた。
竹を使って物干し竿とハンガーも作成、ムカデ対策としてベッドも作成、竹炭作りも行い、燻製器を作って燻製も行ったり、いろいろなものを作ったりもしていた。
現地にあるものでなんとかする、無いものは作るといった工夫や努力がおもしろく、普段のキャンプでは得られない知識や経験が得られたという感想を述べられていた。

文献:https://youtu.be/bEcCSuYJw-8

私個人の感想
自給自足生活というのは、自分たちで生み出す意識という意味や自然との共生という意味において、古代への原点回帰という意味でもとても重要な視点である。
それと同時に、現代のインターネットの技術も素晴らしい技術であり、インターネットの技術と自給自足生活を組み合わせた「ネオ自給自足生活」が今の時代における良い生き方の1つであるように思える。

~追記~
物質的豊さは決して悪ではない。
物質的豊かさを悪だとジャッジしない視点が大切なのかもしれない。
物質的豊かさに「執着」しなければ、物質的豊かさを味わうことは良いことである。

執着せずに物質的豊かさを楽しんでいれば、もし仮に想定外の出来事により物質的豊かさを失ったとしても、自分の中の豊かさはブレることなく、物質的豊かさの無い環境でも豊かさに生きていけるのであろう。

ハワイに行こうが、自宅で過ごそうが、豊かさは自分の中から生み出されるものであるから、両者の本質的な豊かさは変わらない。
だが、我々は自分の中の豊かさを「現実として臨場感持って体験するために」地球にやってきたのだから、本質的な豊かさは変わらなかったとしても、ハワイに行きたいと思えば実際にハワイに行けば良い。
むしろ、実際に行動することこそが、我々の魂の望む地球にやってきた理由であると言える。

こちらの動画を参考に、自分なりに気付いたことをまとめてみました。
あくまで私個人の解釈ですので、参考にしていただけると幸いです。
《新・地球人》に大切な「豊かさ」「お金」の循環⭐️
https://youtu.be/xsE98h7xOiA

~追記~
最初の頃、私はスポーツを観戦する際、「勝ち負け」で観ていた部分があった。
だが、ここ最近スポーツに対する見る目が変わってきた。
実は「勝ち」とか「負け」とかそういうのは副産物であり、スポーツは優勝する人から最下位の人まで参加している全ての人がいて初めて成り立つものであり、その全ての参加者によって1つの祭りが成り立っている。
そう思うと、スポーツを1つの大きな祭りとして観ることができ、とても豊かな文化であると思うことができる。

~追記~
カルマの法則は「方便」である。
カルマの法則は、人々を真の教えに導くための仮の手段、つまり「方便」であると私は思いました。

理論的には、現実と自分の心を完全に「切り離す」ことができれば、現実にどんなことが起ころうともその現実が自分の心に影響を与えることは全くない。
だが、実際のところ、我々は現実世界で生きているので、現実と自分の心を切り離すことはほぼ不可能に近い。
ほぼ不可能に近いから、方便として「カルマの法則」というわかりやすい法則を用いることにより、現実と自分の心が結びついた上で自分の心を浄化させていくことができる。
自分の心を浄化させていくための方便なのである。

そしてそれは、スピリチュアルのワークにおいても同様のことが言え、自分の心を浄化させていくための方便なのかもしれない。

ではなぜ方便が必要なのか?
それは、我々の心と現実を完全に切り離すことは、今実際に生きている以上ほぼ不可能であるからである。
逆を言うと、自分の心と現実を完全に切り離すことができる者は、すでに解脱しているとしか言いようがない。

そもそも「言葉にした瞬間」、全て方便になってしまう。
真理は、3次元を超えているため、3次元の概念で捉える=方便で捉える、ということになってしまう。
ゆえに、厳密に言うと「目醒め」や「眠り」という言葉自体も、3次元の言葉で説明している以上、方便にならざるを得ない。
そう考えると、チャネリングやリーディングも、エネルギーとして捉えた感覚を「言葉という方便を使って」表現するのがチャネリングやリーディングで捉えた感覚を表現するということになる。

高次の存在というのは文明が発達する以前の原始宗教(シャーマニズム、アニミズム)の頃から言われてきた存在なので、おそらく高次の存在は実在するのだろうと思われるが、「神=現象の擬人化」という解釈もすることができ、
高次の存在は確かに実在しているにしても、おそらく我々の3次元の概念では説明しようがない存在の仕方をしているように思える。
とはいえ、いずれにしても究極的には「神=自分自身」であり、「自分の人生の神は、自分自身」であることには変わりない。

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