仏教の宇宙論においては、世界が生成される成劫、世界が存続する住劫、世界が破壊される壊劫、世界が存在しない空劫の4つの期間が「世界の始まりと終わりのプロセス」であり、
この一連の流れを一大劫と呼ぶ。
そして、この一連の「世界の始まりと終わりのプロセス」の流れは、欲界から色界までの話であり、そこに「無色界」は出てこない。
つまり、無色界は「世界の始まりと終わり」という時間的な流れに支配されていない世界であり、
要するに、創造神と本当の意味で一体化している世界であると言える。
無色界側の視点から見たら、「世界の始まりから終わりまでの一連の宇宙の姿」は、ひと塊になって同時に存在しているように見え、
無色界の住人にとっては、過去も現在も未来も無く、これら全てが同時に存在しているのだろう。
そして、無色界の住人こそが色界と欲界を創った存在であり、
バクティ・ヨーガ的に言えば「無色界の住人による遊び、戯れ」であるということになる。
だが、無色界の住人が色界と欲界を創造した真の理由というのは、我々欲界の住人にはわからない無色界の住人にしかわからない真理なのだろう。