植物や微生物に宿る魂は、神に近い存在の魂であると思われる。
なぜなら、宇宙の自然現象とかなり統合された存在であるような気がするからである。
とするならば、神の持つ心というのは、植物や微生物に近い「意識を持たない、無意識的な心」であるような気がする。
我々、人間は神から最も遠い魂の宿る存在であると思われる。
なぜなら、植物や微生物とは最も遠い存在であるからである。
神から最も遠い存在であるがゆえに、宇宙とは独立した思考を持ち、分離的な主観的世界を有する。
であるがゆえに、心というものを持ち、意識を持ち、(実際には幻想だけれども)自由意志というものも感じることができるのである。
神から遠い存在であるから、自由意志というものを感じることができる。
そこに、我々の存在理由を見出すことができるような気がする。
そして、アメリカの動物行動学者ジョン・カルフーン博士の行った「Universe 25」という実験の中に、
我々のような心を有する存在と理想郷は合わない、という事実が示されているのかもしれない。
詳細:https://www.youtube.com/watch?v=p-SO_We75t4
自我や煩悩は、果たして本当に悪い存在なのだろうか。
自我や煩悩は確かに、苦しみを生み出す存在である。
だが、我々人間はむしろ、苦しみという刺激を生き甲斐に変換する世界を自ら望んだ存在であるような気がするのは、気のせいだろうか。
悟りから遠いから、心を持つことができ、意識を持つことができるとも言える。