ふるふる哲学

学びの過程を記しています。ブログの各記事は、基本的に「総まとめ」を作成する上での下書きです。

未設定

この世は「我」を追求する場である

投稿日:

本当の真理は「諸法無我」である。

真の姿は「無我」である。

だが、この世は様々な「我」を生み出すために存在する場である。

この世における人生とは、ただひたすら「我」を追求する場ではないかと、そう思えてきます。

子孫を残すという行為は、自身の分身を生み出して後世に残す行為であり、これも「我」の追求と言えるでしょう。
自分の分身を残すことで、「我」をこの世に存続させる行為が、子孫を残すという行為なのですから。

芸術を生み出すという行為、文化を生み出すという行為も、「我」の追求であると言えます。

自身の内面の世界を芸術という形で表現して、後世に残すという行為であり、芸術を通して自身の内面の世界をこの世に存続させる行為。
文化を生み出すという行為も同様の性質があるように思えます。

クオリアを生み出すことそのものが、「我」の追求にある。

そして、この世は様々な「我」が生まれては消えていく、この繰り返しである。

そして、この世から消えていった「我」は、本来の故郷である「無我」の世界である「涅槃」の世界に帰っていくのである。

「涅槃」の世界とは、どのような世界なのだろうか。
プロティノスの言う「一者」なのだろうか。
または、西田幾多郎の言う「絶対無」なのだろうか。
もしくは、プラトンの言う「デミウルゴス」や、アリストテレスの言う「不動の動者」みたいなものなのだろうか。

忍者AdMax



忍者AdMax



-未設定

執筆者:


comment

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

関連記事

no image

自説:世界は意志の無限な闘争と創造の場である

ショーペンハウアーは世界を、「意志は究極の目的を欠いた無限の努力(闘争)である」と捉えた。ベルクソンは世界を、「進化とは持続的な創造の推進である」と捉えた。 ベルクソンの言う「創造」を支えているのは何 …

no image

欲を追い求めても良い。大事なのは、外の存在に対する「考え方」である。

狩猟文化では、「祖霊」が動物の再生や豊猟に関わることは基本的にはなかった。(つまり、原地母神の創造性と一体化する姿勢) だが、農耕文化においては、人工的に作られた田畑を人間が管理するようになった。 そ …

no image

『眠れぬ夜に目醒めのお話を…』(著:中村 咲太)をおすすめしたい

『眠れぬ夜に目醒めのお話を…』(著:中村 咲太) kindleで買って読みました。 凄く良い本でした。 実際に神秘体験の数々を経験してきた著者だからこそ、描けるものだと思いますし、この長くない絵本の中 …

no image

快楽と苦痛は表裏一体

快楽と苦痛は表裏一体である。 それが、我々が「存在している」ということである。 存在するから、快楽と苦痛という表裏一体の現象が表れる。 ニーチェはこう言った。 「大きな苦痛こそ精神の最後の解放者である …

no image

「存在しないと同時に全てが存在する」という悟り

マルクス・ガブリエルの言う「世界」とは、「あらゆる対象の性質を全て持っている」であり、全ての対象を包摂しているのが「世界」である。 そして、世界が存在していてもそれは存在として表出しない = 神を認識 …