相対主義である「人それぞれ」というのは思考停止に陥る危険性がある。
だが、絶対的なものがあると決めてしまうのは独断のドグマに陥る危険性がある。
哲学というのは、知を愛するが語源であり、探求に終わりはない。
これが真実だと思ったことも、容易にひっくり返ることがある。
長らく天動説が絶対的真理だと思われてたが、実は地動説が正しかったのように。
(でも、地動説が真理だとも絶対的には言えない)
どんなに普遍的な真理があると思っていても、それはいつか容易にひっくり返る可能性はある。
それが正しいと考えたら、正しいと信奉しない人を否定せざるを得ない。
絶対的な真理があるのか?ないのか?
それはやはり人間が判断できることではないのかもしれない。
哲学を学ぶということは常に、不満足であるということ、欠けているということを意識して、
それについて向き合っていくこと。
それが哲学であるのだろう。
ネオ高等遊民:哲学マスター
https://youtu.be/x1SL2uAE_LY
こちらの動画でこのことを学びました。
真理はやはり存在しないのかもしれない。人間が知ることは不可能なのかもしれない。
いつ私はこのことを受け入れられるのだろうか。
本当の悟りとは何か? お釈迦様が真に言いたかったことは何だろうか?
お釈迦様の「無記」がヒントになるのかもしれない。
常見、断見といった悪見につながることをお釈迦様は、無記として回答・言及を避けた。
このことは、つまり、「相対主義」「絶対的真理」この二元論に囚われるなと言ってるのだろうか。