世の中には、様々な物や知識に溢れている。
これらの多くは、人間の手によって生み出されたものである。
だが、人間の手によって生み出されたものはいつかは消えてしまう。
いや、世界にあるあらゆる目の前にある自然も、いつかは変化してしまう。
これらの、いつか消えて変化するものに囚われていては、真理を理解することはできないのかもしれない。
真理は、知識として得るものではなく、実際に自分の感覚として「体感」するものである。
仏教において、悟りは、言語化されて理解される知的側面だけではなく、八正道や三学に示されるような実践を通じて初めて体得できるとされているように、
知識に囚われず、体感することに意味がある。
我々には、もともと真理を悟る力が備わっており、
だが、様々な煩悩に囚われているがゆえに、真理に気づけていないだけなのかもしれない。