ふるふる哲学

今までいろいろな教えに触れてきましたが、私は「神人さん」の教えが、真の教えとしてとてもわかりやすく感じました。 神人さんの教えに興味のある方は「神人講演会」に参加されることをおすすめいたします。

未設定

真理とは、知識ではなく「体感」するものである

投稿日:

世の中には、様々な物や知識に溢れている。
これらの多くは、人間の手によって生み出されたものである。

だが、人間の手によって生み出されたものはいつかは消えてしまう。
いや、世界にあるあらゆる目の前にある自然も、いつかは変化してしまう。

これらの、いつか消えて変化するものに囚われていては、真理を理解することはできないのかもしれない。

真理は、知識として得るものではなく、実際に自分の感覚として「体感」するものである。

仏教において、悟りは、言語化されて理解される知的側面だけではなく、八正道や三学に示されるような実践を通じて初めて体得できるとされているように、
知識に囚われず、体感することに意味がある。

我々には、もともと真理を悟る力が備わっており、
だが、様々な煩悩に囚われているがゆえに、真理に気づけていないだけなのかもしれない。

忍者AdMax



忍者AdMax



-未設定

執筆者:


comment

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

関連記事

no image

仮に理想郷の創造が実現されたとしても

仮に理想郷の創造が実現されたとしても、我々はその理想的な状態にいずれは「慣れ」てしまい、理想郷が、自身の心によって理想郷として認識できなくなってしまう。 ゆえに、仮に理想郷が実現されたとしても、それは …

no image

もう一つの案(唯識を中心に)

唯識において、「種子」という、いろいろの現象を起こさせる可能性である、可能力があります。 ベルクソンは「世界はイマージュの総体」だと言いました。 イマージュ ≒ 種子 と解釈すると、唯識においては、「 …

no image

70歳からの「幸せな過ごし方」【仏教の教え】の内容に感銘を受けたのでシェア

YouTubeチャンネル「仏教に学ぶ幸福論 by 菊谷隆太」より   ・手に入れたいものを獲得する… という幸せだけでは太刀打ちできなくなってくる 若い頃は年齢と共にだんだん経験を積んでできるようにな …

no image

感覚的クオリアと志向的クオリアについての理解

感覚的クオリアとは、感覚器を通して知覚した外部の情報のクオリア 志向的クオリアは、感覚器を通さない、脳内にある「仮想」を構成するクオリア 脳は、感覚器を通して入ってきた「感覚的クオリア」と、脳内にあら …

no image

アイドルは「宗教」みたいなものである

アイドルは宗教みたいなものだと思います。 なぜなら、 ●アイドルの子、またはアイドルグループに「帰依」する ●そして、応援という名の「布施」をする ●ライブイベントという名の「儀礼」に参加する アイド …