~補足6~
ドイツの哲学者マルクス・ガブリエルの著作『なぜ世界は存在しないのか』に書かれていることは真理に近いように思える。
~補足7~
宇宙論について、ロジャー・ペンローズの提唱した「共形サイクリック宇宙論」を支持する。
「宇宙の始まりと終わりは同じである」という主張であり、ゆえに時間に始まりも終わりも無いことになる。
宇宙の終焉と同時に、時間そのものが宇宙の始まりに戻るようなイメージである。
ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェが提唱した「永劫回帰」の哲学にも通じる宇宙論である。
ペンローズは、質量の持たない粒子は「時間がない」ため、一瞬も永遠も同じであると語っている。
そして私は思う。精神だけの世界に質量は存在しない…と。
~補足8~
一般相対性理論を基に組み立てられた理論として、「ブロック宇宙論」という仮説がある。
この仮説は、時間の非実在性を説いたことで知られるイギリスの哲学者ジョン・マクタガートの考えを発展させて誕生した仮説である。
この仮説によると、宇宙の過去から未来にかけてブロックの中に全て実在しているということになる。
もしこのブロック宇宙論が正しいとするならば、このブロック宇宙は「一者」から見た宇宙の姿ではないだろうか。
一者という時間も空間も無い世界の視点から見ると、宇宙はブロックのように過去から未来まで宇宙の全時間が存在しているように見える。
そして、我々宇宙の中にいる側の人間の視点から見ると、時間の流れが存在し、未来はまだ存在していないように見えるのだろうと思われる。
【「世界は意志の無限な闘争と創造の場である」の意味】
私が題名として考えた、「世界は意志の無限な闘争と創造の場である」の意味を考えると、
世界の創造というのは、言うなれば、「物理法則」と「進化論」が語るような進化の法則による宇宙と生命の進化を、「意志の闘争による創造」という表現に変えて語っただけの話である。
それに+「純粋記憶」という概念を足して、宇宙の外の空間には「一者」という概念の世界があると語っているだけの話なのである。
世界に目的は存在せず、ただ物理法則と進化論の進化の法則による、無限の創造があるだけなのである。
その、物理法則による万物の創造は、オランダの哲学者バールーフ・デ・スピノザが語るような神、つまり「一者」による創造であると言えるのである。
そして、宇宙はニーチェの言う永劫回帰のように、ペンローズの提唱した共形サイクリック宇宙論の世界のように、歴史が繰り返されているのである。
このような舞台の世界の中で我々は、「自由」に一者の創造に参加することが生きるということである。
つまり、この世界は「神秘主義」的な視点からでも、「唯物論」的な視点からでも、どちらからの視点でも解釈できるように成り立っている世界であるのだろうと、私は思う。
強いて言うなら、どちらも真理であり、どちらも正しいのだろう。
視点の違いであり、生き方、解釈の違いにすぎない。
この世界は、「自由」に意味を設定できるようにできているのである。