キルケゴールは、人間の実存には3つの段階があると言い、
「宗教的実存」は、その3段階目で、
「死に至る病(絶望)を自覚し、単独者として神と一対一で向き合うことで本来の自分を取り戻す段階」としています。
この、「神と一対一で向き合う」とは一体どういうことか?
と考えた時、
ハイデガーの「死への存在」が理解へのヒントになるのではないかと思いました。
私たちには、みんな必ず「確実な死」という共通する避けられない人生の終焉が待っています。
この「確実な死」と向き合うことで、真の自己を取り戻すということが、キルケゴールの言う「神と一対一で向き合う」ということではないかと思うのです。
神と向き合う ≒ 死と向き合う
と言っても良いと思います。
将来の「確実な死」と向き合うことで、真の自分の人生を送ることができるということですね。