臨死体験には、ある一定のパターンが存在する。
臨死体験のパターン
1:死の宣告が聞こえる
2:知覚が鋭敏になる
3:体外離脱する
4:意識だけが宇宙へ旅立つ
5:暗いトンネルを通過して出口に明るい光を見る
6:神秘的あるいは強烈な光に遭遇する
・無条件の愛に包まれ、宇宙と深く結びついていると感じる
・心の安らぎ、とてつもない恍惚感
・人生回顧(ライフ・レビュー)
・無限の知識に触れ、未来が示される
・死後の世界の人々との意識交信、死後の世界の階層を見る、死後の世界との境目を見る
※『チベット死者の書』にも「生命の本性であるまばゆい光が現れる」と書かれている
参考
https://karapaia.com/archives/52137088.html
https://tocana.jp/2020/10/post_173095_entry.html
https://onlylife.jp/blog/1/1-1/1-1-3/1-1-3-4/
http://osoushiki-plaza.com/anoyo/takai/takai1.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%A8%E6%AD%BB%E4%BD%93%E9%A8%93
この臨死体験のパターンから、プロティノスの新プラトン主義の思想またはプラトンのイデア論または仏教思想にも結び付けることができるかどうか考察していきたいと思う。
>神秘的あるいは強烈な光に遭遇する
この神秘的な光こそ「一者」であると思われる。
>無限の知識
一者には無限の知識、つまり宇宙の全ての可能性が一者の中にあると考察できる。
また、この一者を「イデア」と捉えることもできる。
また、瞑想による体験として「ワンネス、宇宙との一体化」の体験が報告されている。
これは仏教の「空」に相当する。
このことから、一者は宇宙そのものであると考察できる。
>人生回顧(ライフ・レビュー)
ここからわかることは、自己と他者を分けるのは「記憶の違い」つまり「カルマ」の違いであると考察できる。
>死後の世界の階層
この階層は、カルマの違いによる階層であると考察できる。
これらの考察を基に、宇宙の始まりについて、世界の真理についての考察を行いたいと思う。
一者は、精神の源でもあると同時に、物質世界の源でもあるとするならば、
「一者から精神の源であるヌース質料が流出し、ヌース質料は一者を振り向いて見ることで、ヌースつまり“心に映し出された物質世界”を生み出す」
という考察ができる。
これが宇宙の創造であり、ビッグバンの始まりである。
心に物質世界が映し出されることで、行いが発生し、行いが発生することでカルマが発生する。
カルマが発生することで、新たな心を生み出し、新たな心は再び一者を見ることで新たに“心に物質世界が映し出す”
カルマは、プロティノスの言うロゴスに相当し、生み出された新たな心というのは魂に相当する。
この、“心に物質世界が映し出される”つまり「世界の創造」の連続が「時間の流れ」を生み出す。
カルマの連続が、魂を構成する。
仏教の経典『ダンマパダ』にこう記されている。
>ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される
これが、心が世界を創るということであり、プロティノスの新プラトン主義の唯心論にも当てはまる。
このように、臨死体験のパターンと瞑想のワンネス体験から、プラトンのイデア論、プロティノスの新プラトン主義、仏教の思想に通じる「世界の真理」を考察することができるということがわかる。
※実際に自己意識の中心にある真理の扉を開いて心の眼で見て確かめる上では、「瞑想」のみを推奨したい。