苦は、人との関係や自然との関係においてのみもたらされ、快楽もまた、人との関係や自然との関係においてのみもたらされる。
世界の全ては、人との関係や自然との関係によって構成されている。
キリスト教における「汝の敵を愛せる境地」になった時、仏教における悟りの境地に達することができ、「涅槃」に入ることができるのであろう。
そして、涅槃に入るための実践の1つにイスラム教における「喜捨」がある。
涅槃に入ることで、神と一体化することができるのかもしれない。
涅槃に入るための身近な実践が、仕事であり、家庭である。
仕事とは、生命を維持する活動そのものである。
神とは、宇宙の外にある空間そのものであり、神とはイデアそのものであり、宇宙霊魂、地球霊魂、植物霊魂、動物霊魂のように分霊していった先にあるのが「私」という存在。
「私」という存在の死と共に、地球霊魂と合一するが、「私」の死の間際の波長に一番近い波長のところに生まれ変わる。そのような仕組みなのかもしれない。