仏教の教えは本来、死後のことにはあまり触れてない。
「無記」という形でお釈迦様は、回答をしていない。
仏教は、過去や未来にとらわれない「今を生きる」教えであり、
そもそも、スピリチュアルな霊的真理を知りたいという気持ち自体が「煩悩」のような気がしてくる。
死後のことなんて、死ぬまでわからない。まだ来ない未来を今心配して何になるのか。
過去をクヨクヨしたり、過去の武勇伝を思ったところで何になるのか。
それら全てが「煩悩」のような気がする。
お釈迦様本来の仏教は「今この瞬間」を大事にしろと言っているような気がします。
今さえ良ければ良いのではなく、
「戒」を定めて、八正道つまり正しい行いをもって、過去や未来に縛られることなく「今」を生きる。
これが仏教の実践なのでしょう。
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おもしろいことに、(おそらくお釈迦様の時代から)仏教は死後の不滅の魂の存在も、死後の永遠の無も、両方とも否定している。
>常見(じょうけん)とは、仏教用語で、「アートマン(自我:霊魂)」は永遠に続くもので不滅であるとする見解のこと
>断見(だんけん)とは、因果の法則を無視して、人が一度死ねば、断滅してしまい二度と生まれることがないとする見解
仏教はこの、常見も断見も両方とも否定しています。
仏教における主張は、死後の永遠の魂の存在も、死後の永遠の無も、両方とも否定する主張をしています。
つまり、これはどういうことか?
「我」は幻想であり、私の意識もあなたの意識も同じ1つであるという主張に繋がる。
手塚治虫さんの漫画「ブッダ」にも、これに近い表現がされているかと思います。