2021年の出生数は81万人だったということを知った。
そして、「そうか…私という存在は、世界の人口約80億人のうちの1人なんだな…」という数の多さを考えてるうちに、
「なぜ私は私なのか」という疑問を再び抱いた。
そして、ライプニッツの支配的モナド、従属的モナドという概念をふと思い出した。
https://www.l.u-tokyo.ac.jp/philosophy/pdf/ron38/05-miura.pdf
こういうサイトとか、
https://w.atwiki.jp/p_mind/pages/72.html
こういうサイトとか、読んでみたけど、
漠然とした理解しかできなかった。
だが、1つ私が思ったことは、
「1人の身体に1つの魂」という前提がそもそも間違ってるのではないか?ということである。
私という身体に、数千という魂が宿ってるかもしれないではないか。
そして数千という魂が全て、「私」だと思っているという、そういう構図だって考えられる。
その数千という魂は、それぞれ全て別の輪廻転生のルートを歩んでいき、支配的魂になったり、従属的魂になったりしながら、輪廻転生を歩んでいった。
そして、数千の魂が合流し、今の「私」という主観的世界が誕生した。
その「私」は、数千という魂が全て「私」だと思っているが、その中の支配的魂が「支配的私」であり、残りの私は「従属的私」である。
そういう分離と統合を繰り返しながら、輪廻転生による「分離というスタートラインを予め設定した統合ゲーム」は、「予定調和」として進行していくのであった…