仏教における、六道輪廻において、
人間界のほうが畜生界(動物)より上となってます。
また、ショーペンハウアー哲学においても、植物を低位のイデア、最上位のイデアを人間と捉えています。
ベルクソンは「創造的進化」においても、人間を「持続」としての本質を十分に発現し「自由」になった存在だとしており、やはり最上位に捉えているようです。
しかし、「無限絶対の大我」というのは、個別性の無い一体となった存在です。
「個」という観点で言えば、人間が最も自我を発達させており、「大我」とは一見、最もかけ離れた存在のように思えます。
たが、様々な宗教や哲学では、人間を最上位に捉えている。
なぜだろうか?と私はここ最近考えていました。
そして、こう解釈しました。
魂は、低位のイデアから高位のイデアにかけて、生物の進化の過程を一通り経験するのです。
それにより、あらゆる地球生命を経験することにより、地球全体を包括する大我になれるのだろうと。
それが宇宙規模でも同様にあるのではないかと、そう思いました。