インドにおいては、ヴェーダによって神話が伝えられ、ウパニシャッドによって哲学的な意味が伝えられた。
そして、六派哲学、沙門の思想によって様々な解釈が行われた。
ウパニシャッド哲学:梵我一如
【正統派:六派哲学】
ヴァイシェーシカ学派:実在論、多元論
ニヤーヤ学派:論理の追求
サーンキヤ学派:因中有果説、転変説
ヨーガ学派:有神サーンキヤ哲学、ヨーガの実践
ヴェーダーンタ学派:不二一元論
ミーマーンサー学派:祭式至上主義
【反正統派:沙門】
・六師外道(仏教側から見た異端思想)
プラーナ・カッサパ:行為の善悪否定論
マッカリ・ゴーサーラ:宿命論
アジタ・ケーサカンバリン:唯物論
パクダ・カッチャーヤナ:七要素説
サンジャヤ・ベーラッティプッタ:不可知論
ニガンタ・ナータプッタ:相対主義
・仏教
ゴータマ・シッダッタ:お釈迦様
お釈迦様はなぜ悟りを開くことができたのだろうか?
私個人はこう感じました。
仏伝において、
>シッダールタはシュッドーダナらの期待を一身に集め、二つの専用宮殿や贅沢な衣服・世話係・教師などを与えられ、教養と体力を身につけた。
とされている。
おそらく、お釈迦様はヴェーダやウパニシャッド哲学、六派哲学やこの頃から存在していた沙門の思想等、様々な教養を身につけていったと思われる。
その後、お釈迦様は出家し、三人の師についたり、様々な苦行を行う等、行動によってあらゆる実践、修行を行っていった。
その過程の中で、スピリチュアルで言う「100の位置」に戻っていったのであろう。
そして、菩提樹の下に坐して瞑想を行った時、100の位置からダイレクトにハイヤーセルフと繋がり、
全ての点と点が線で繋がり、言語化できない悟りの境地に達した。
悟りを開いた後の教化と伝道も、100の位置に自らが立ち続けるために非常に重要なことだったのであろう。
ここまでに出てきた要素をまとめると、
・様々な教養
・出家、修行
・悟りと伝道
の3要素となる。
この3要素は、イエス・キリストにおいても同様に見ることができる。
>イエスはガリラヤ地方のナザレで育つ。ルカの福音書によれば、大変聡明な子であった。
(様々な教養)
>洗礼者ヨハネがヨルダン川のほとりで「悔い改め」を説き、洗礼を施していた。イエスはそこに赴き、ヨハネから洗礼を受ける。
>そののち、御霊によって荒れ野に送り出され、そこで40日間断食し、悪魔の誘惑を受けた。
(出家、修行)
>荒野での試練の後イエスはガリラヤで宣教を開始する。
(悟りと伝道)
様々な教養というは、様々な言語による解釈は全て「本当は言語化できない真理を、様々な角度から地球の概念で言語化して語っているにすぎない」ことであるということを悟る上で必要であり、
出家や修行というのは、100の位置に戻るために必要であった。
そして、100の位置に戻った上で、ハイヤーセルフとダイレクトに繋がった時、言語化できない真理を悟ることとなる。
この3要素が、眠りの時代における目醒めるためのステップであったと考えられる。
目醒めやすい地球になってきている現在においては、過度な教養や過酷な修行無しに目醒めることが可能になってきていると思われる。
参考
https://www.youtube.com/playlist?list=PLmIEdCb2QKW1gWVwnCPUJJJffs3ICjIJV
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%88%E8%BF%A6
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88