~心の訓練~
・心をどう変革するか?というのが、あらゆる修行のテーマ
・ポイントは「エゴの放棄」「菩提心(慈悲)」
すべての自分の苦しみの原因はエゴ
すべての自分の喜び・幸福の原因は慈悲
文献:https://youtu.be/snp4e_k-0qM
・最悪の状況であればあるほど、最高の状況である
逆境こそ、自分を鍛えてくれ、自分の悟りを目醒めさせてくれる
・苦悩がない時期は、蓄えの時期
将来の苦悩に備え、教えを学んだり、徳を積んだり、戒律を守ったり
文献:https://youtu.be/Tf-W93etUjQ
・あらゆる問題はただ一つ、エゴのせい
・すべての衆生の大きな恩を思え
相手がいて初めて菩薩行ができる
究極的には、ある意味役割的であるのかもしれない
・トンレン(他者に幸福を与え、他者の苦しみを受け取る)
周りを愛する つまり、周りに対する「許し」の気持ちが必要
そのような気持ちが持てない場合、自分を許せていない場合が多い
第一段階で、(目の前にもう1人の自分を想定して)自分に対するトンレンを行う
呼吸に乗せてトンレンを行う
文献:https://youtu.be/MgYTbzPtZYE
・すべての原因はエゴであり、トンレンによる堅固さを得ると、空という本質の正体が明らかにされる
・一切は神の愛であると共に、一切は幻である
・修行者はある意味開き直りが大事
逆境を恐れるよりも開き直ることで、その逆境が自分を高めてくれるものに変わっていく
・自然に生じてくる様々な苦悩や災難、逆境、失敗は、修行を進める宝物、神からのプレゼント
・どんな状況でも、目の前の人々の幸福を考える そして自己のエゴの破壊、エゴを滅することを考える これによって逆境が逆境じゃなくなる
・仏陀や神とのパイプを強める
瞑想で供養したり、日々全てを供養ととらえ、綺麗な景色があったら供養する、美味しいものを食べたらその美味しさを供養する、なんでも供物ととらえる、奉仕により肉体や時間の供養をする
自分を守ってくれる存在との絆を強める
我々は無知だから何度も間違った道に入る だが、この絆がしっかりしていると救われる
・魔への対処法
マントラ(特にヴァジュラサットヴァ)
聖なるものへの帰依
慈悲
文献:https://youtu.be/6KTr-50dS6M
・決意により、絶対に悟るぞという方向性を定め、それを持続させる
・自分以外のすべての魂の悟り、安らぎ、そのために自分の積んだ徳や修行のパワーを向けたいという回向の祈り
人々の幸福のために修行を行うという発願
仏陀や神に祈って懺悔
これらの実践により高い世界とのパイプをつくる
・死の間際に
菩薩になるぞ菩薩になるぞと決意
すべてをお布施
慈悲の瞑想を徹底的に行う
仏陀や神を修習して、そこに溶け込むように死んでいく
徹底的に神や至高者を想いながら加護を願う
文献:https://youtu.be/JFsNsZB84wQ
~最強の幸福の方程式~
・失う苦しみ、得られない苦しみ、嫌なものと触れる苦しみ
・心のしくみとしては、物は少ないが欲求も少ない人のほうが幸せ
・貧しいけど、非常に欲が少なく、人に対する慈悲が強く、そして日々あらゆることに満足して生きている人
文献:https://youtu.be/oZtMjr260aE
~十二縁起~
一方的な因果ではなく、相互関係
・無明:ありのままに真実を見る智慧が無い
・行:経験から来る心の習性、カルマの蓄積、情報
・識:それらの情報が固定的な識別を形成する
固定的な識別が、経験のインプットの方向性を決める
文献:https://youtu.be/F1WCeY_-I2g
・名色:偏った識別により、私という自我意識観念が強まる
・六処:自我意識が生まれると共に、他者という存在が生まれる
・触:自分と他人が接触する
・受:苦か楽か、苦でも楽でもない、いずれかの感覚が生じる
・愛:渇愛が生じる(苦しいから嫌だ、楽しくて良いな)
※お釈迦様は、苦しみを滅する方法として、無明と渇愛を切ることを言っている
無明はすべての原因
渇愛を切るとは、まだカルマが充分に浄化されていない場合、この世で苦楽を味わうのは仕方がないが、そこに良し悪しの感情を乗っけないということ
・取:囚われになる
・有:囚われにより、我々がこの世に結び付けられる
・生:生命の誕生
・老死:老いと死
新たな悪業を積まない
悪い習性をつくらない
徳を積んで、善業を積む
ものの見方を正しく変えていく
これにより、悪い十二縁起の流れから、良い十二縁起の流れに変えれる
渇愛と嫌悪を断ち切れば、少なくとも輪廻からは自由になれる
根本的に無明を断滅すれば、仏陀になれる
菩薩の道は、無明を四無量心や菩提心に変えて、あえてこの世で十二縁起で生きる道
文献:https://youtu.be/6zn-ICzbrmY
『夢から紐解く「十二縁起」の教え』はこちら
https://youtu.be/SoMgsgsEg5I
~カルマの輪を断ち切る方法~
・非常に苦手な人がいる この苦手な人は、私の嫌いな要素をたくさん持っている
私にはその要素を持っていないのにと思っている
この、私にはその要素を持っていないのにという思いは、自己認識の甘さもあるが、この人は嫌だから一緒ではない、一緒だと認めたくないという強い防御反応がある
そこで、自分をちゃんと認識した結果、一緒であった、同じ世界に自分もいたのだということを受け入れる感じに認めた
その時、自分の中で大変な意識のチェンジが起こった
(同じ世界に自分もいるということが)カルマの輪である
カルマの輪の中にいる者同士が、「縁がある」という
・この自然と流れるカルマの流れに我々は巻き込まれ、過去に作ったカルマの流れに応じて、自然に煩悩が出て、自然に苦しみを味わい、自然にこの輪廻の中で流転している
このカルマの輪の自然な流れには乗ってはいけない
・憎しみには愛で返せ、非難には称賛で返せ、奪われたら与えろ、馬鹿にされたら尊敬しろ、悪い言葉には良い言葉で返せ、苦しみを与えられたら幸福を贈れ、あだを恩で返せ、最悪な場合でも悪しき反応はするな
表面的ではなく、心から愛を返さなきゃ意味がない
仏陀は、カルマの輪から外れた存在
カルマの輪の流れを変えれるのは、その流れの外部にいる存在であり、ダルマ、教えである
文献:https://youtu.be/xH7msxsy1ZE
~禁欲~
・ヨーガ修行を続け、同時にしっかりと禁欲をなし、生命エネルギーが強まった段階で本当の食欲と性欲が出る
・今普通に多くの人が感じている食欲や性欲というのは、偽りのものである
偽りとは、情報によるもの
そこで得られる喜びは実は非常に小さいものである
・禁欲(無駄なエネルギーを漏らさない)
性的な禁欲
食べすぎない
しゃべりすぎない
怒らない
その上で修行をすると、そのエネルギーを使って身体の作り変え(本来の状態に戻す)が行われ、昇華された形になる
非常に精妙な形のエネルギーで身体が満ち溢れるようになる
・体が本来の状態に戻った状態
体中が生命力に満ちる
体が飛ぶように軽くなる
心身が強いエクスタシーに溢れる
気力が充実する
常に肯定的
目に輝きがある
頭脳はフル回転で稼働するようになる
非常に身体が熱く感じるようになる
睡眠時間が極端に減る
この状態になると、情報によって出る欲望ではなく、我々の生命力から発される本来的な性欲や食欲が出る
・本来的な食欲が出てきた段階でも、できるだけあまり食べ過ぎない
本来的な性欲が出てきた段階でも、できるだけ禁欲する
・それにより、生命エネルギー、気の流れが身体の生命活動の中心に来るような人間に変わっていく
まずパタッと食欲が消える 性欲も消える 生きているだけでエクスタシーになる
・その状態でトンレンをやると、歓喜の塊みたいになる
・修行の二本柱
精神、心の修行 ⇒ 悟りとは、透明な心の奥にある
エネルギー的な修行(禁欲、行法)⇒ 身体的なエクスタシーと、心の浄化から来る心の平安が得られる
文献:https://youtu.be/jVoLrExdsvU
~各仏教とヨーガの方法論比較~
y軸:徳、心の浄化、成熟度 ⇒ 精神性の向上、功徳の増大、カルマの浄化
x軸:意識の深まり ⇒ 真我のある奥の心の本性に入っていく
y軸の修行だけ ⇒ 真理は知らないけど、とても幸せにはなる けど、この世は無常だからずっと徳を積んで幸せでいられるわけではない
x軸の修行だけ ⇒ 低くて深い恐ろしい世界に入る 結局真我にはたどり着けない 怖い体験をしたり、魔境になっていく
ゆえに、y軸とx軸を同時に行うことが理想
原始仏教:y軸寄り(初めにy軸を徹底的に高めた後、x軸に入る)⇒ 当時には適していたけど現代には適さない
大乗仏教:実践が伴わない哲学遊びに もしくはy軸寄りでx軸に弱い
密教:大乗仏教の欠点を補う形で、ヨーガを取り入れることでx軸も取り入れた ⇒ y軸とx軸を同時に高めていく形に
ゾクチェン、禅、マハ―ムドラ―:x軸重視(霊的世界、原因界も無視して一気に真我にたどり着こうとする)⇒ 素質があればできる(けど、普通はできない)
チベット仏教:生起次第である程度y軸を高め、究竟次第でx軸を高め、ある程度準備ができた段階で、マハ―ムドラ―やゾクチェンにより真我にたどり着く
通常は、悟っても再び落ちるを繰り返し(自分が経験したことのない煩悩により)、落ちる度に経験したことないことを経験するまでひたすら繰り返す
菩薩行は、最短ルートで解脱する行