初期中期プラトンのイデア論は、よく知られたプラトンのイデア論であり、
「魂の想起説」や「輪廻転生」の概念などで有名。
対して、後期プラトンの哲学は「デミウルゴス」という神が登場し、イデアという概念は「形相」としての存在となり、
初期中期プラトンの言うイデア論とは違ったものとなっている。
また、デミウルゴスという神の概念は、アリストテレスの不動の動者という存在に近いものがあり、
アリストテレスの哲学においても、「形相」という存在があるということになっている。
初期中期プラトンのイデア論のような、天上界の存在や魂や輪廻転生といったスピリチュアルのような世界観が正しいのだろうか?
それとも、後期プラトンやアリストテレスの哲学のような、イデアという存在は「形相」として存在するような世界観が正しいのだろうか?
天上界としてのイデアか? 形相としてのイデアか?
どちらにしても、イデアが仮に存在したとしても、
「輪廻転生は存在するのか?しないのか?」という疑問もまだ残る。
イデアが存在したとしても、輪廻転生は存在しないというパターンも考えられるからだ。
輪廻転生が存在するとしたら「魂」という概念は存在するのであろう。
もしくは、もともと全生命は1つの意識から解離した意識という存在であり、死と共にもとの1つの意識に戻るから、
そもそも輪廻転生という概念そのものが変貌するというパターンもありそうである。
また、輪廻転生は完全に存在しないというパターンにおいては、「私」という存在自体が固有の「クオリア」であり、その「私」というクオリアが全宇宙の歴史において1度だけ出現するチャンスが与えられ、今この瞬間出現しているにすぎない、
というパターンが考えられる。
「私」という存在の形相が、全宇宙の歴史の中で1度限り出現し、
もし宇宙の歴史が1から再度繰り返されるとしたら、(永劫回帰)その時再び「私」という存在が現れる、というパターンになる。
いずれにしても、いろいろなパターンが考えられるため、「イデア」が存在するとしても、まだ未解決の疑問は残されるのである。