ふるふる哲学

学びの過程を記しています。ブログの各記事は、基本的に「総まとめ」を作成する上での下書きです。

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感覚的クオリアと志向的クオリアについての理解

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感覚的クオリアとは、感覚器を通して知覚した外部の情報のクオリア

志向的クオリアは、感覚器を通さない、脳内にある「仮想」を構成するクオリア

脳は、感覚器を通して入ってきた「感覚的クオリア」と、脳内にあらかじめ存在する「仮想」としての「志向的クオリア」とのマッチングにより、外部の存在を理解しようとする。

こちらのサイトを参照 → クオリア – 現実と仮想の出会い:茂木健一郎 https://www.brh.co.jp/publication/journal/034/talk_02.html
もしくは、茂木健一郎(著)『脳と仮想』を参照

これを、数学的プラトン主義的に私なりに理解すると、
※ロジャー・ペンローズ(著)『皇帝の新しい心』を参考に

マンデルブロ集合を例にすると、マンデルブロ集合を構成する「数式」が情報にあたり、実際のその数式により表現されたマンデルブロ集合の図がイデアの世界にある志向的クオリアと理解することができ、

感覚器を通して入ってきた情報が、脳内に数式として置き換えられ、すでにイデアの世界にある志向的クオリアとのマッチングにより、外部世界が感覚的クオリアとして知覚される、
というような仕組みに理解できるように思えました。

つまり、イデアの世界にあるのは「志向的クオリア」であり、その「志向的クオリア」がユングの言葉を借りるなら「集合的無意識」である。

我々はもともとは、1つの意識であった。それは志向的クオリアで構成された集合的無意識という1つの意識。

そこから、感覚的クオリアにより顕在意識が生み出され、「自我」と「他我」に分かれることになる。

自我と他我を分けているのは、感覚的クオリアであり、
志向的クオリアは、自我を他我の境界の無い集合的無意識なのではないかと、
そう思いました。

※茂木健一郎氏が著書『クオリアと人工意識』で、「意識は1つ」であると述べていることの意味をこのように解釈しました。

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