ふるふる哲学

今までいろいろな教えに触れてきましたが、私は「神人さん」の教えが、真の教えとしてとてもわかりやすく感じました。 神人さんの教えに興味のある方は「神人講演会」に参加されることをおすすめいたします。

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旧~最新の私の結論~【11月08日更新】 ※追記あり

投稿日:2023年11月8日 更新日:

【目醒めとは何か? 悟りとは何か?】

・自分が納得いくまで徹底して、知識的探求をする

・自分が納得いくまで徹底して、経験的探求をする

⇒徹底して探求した知識と、徹底して探求した経験から、点と点が線で繋がるように「気付き」が得られ、
その気付きが、悟り、目醒めになっていく。

ゆえに、知識や経験に特定の正解は無い。
自分で得た知識、自分で得た経験を、自分の中で点と点を線で繋げていく一連のプロセスにこそ意味がある。

 

追記
私自身の気付きを記載していきたいと思います。

我々は地球の恵みによって生きることができており、その基本に立ち返ることが、目醒めに繋がってくる。
近年のスピリチュアル界においても、縄文人のスピリットや縄文回帰といったキーワードが注目されているのは、そのためである。

それに関連して、対人関係において、
対人関係の不和や苦手意識の根本背景には、眠りの時代と言われるピラミッド型縦社会やそれに付随して起こる競争社会、
物質的豊かさを追求する思考といった古い周波数を手放しきれていない、
つまり、これらの時代の頃の価値観の自覚していないところでの洗脳が払拭しきれていないことが根本原因として挙げられるように思える。
対人関係においても、基本に立ち返ることが大切であり、
森羅万象に対する感謝を心の底から日々思うことができるようになれれば、自然と対人関係も良好な思考になっていくのではないかと、
そう解釈することができる。

また、目醒めにおける参考になるエピソードとして、お釈迦様の悟りに至るまでのエピソードが挙げられる。
お釈迦様は王族として何不自由無い裕福な環境にお生まれになられたが、
その後、自ら激しい苦行を行うことになる。
そしてこれ以上の苦行は無意味であると達した後に悟りを開くこととなった。
だが、その苦行という過程は、悟りにおいては無意味ではなく、
これらの、最初に生まれた何不自由無い裕福な暮らしから極限の苦行に至るまでの一連の経験全てが、悟りに至るまでのプロセスであったと、
そう解釈することができる。

このように、偉人の数々のエピソードであったり、気付きに至るまでのヒントとなる知識は世の中には昔からあるが、
実際にそのエピソードの本質に気付くまでには、自分自身も経験してみないと見聞きした情報だけでは理解しきれない部分がある。
そう改めて感じさせられました。

 

追記
争いがあって初めて平和を学ぶことができる
戦争と平和は同時発生し、この現実世界で戦争を完全に無くすことは不可能であるとした場合、
この現実世界の次元をどうバージョンアップできるのか? について、
「許容と譲歩」という答えに辿り着く、
ということを教わりました。

負けても、許容し譲歩する
もし仮に身内が殺されたとしても、許容し譲歩する、
そのような非常事態に許容し譲歩できるような人間は、全てを悟った人間にしかできない
神に近づく領域とさえいえる

とした場合、
今この私に求められることは、
「今この瞬間、どん底に近い感情を経験しているその『自分自身』を許容し譲歩する」ことなのではないか。
誰もがみんな、良い状態の自分を好み、悪い状態の自分を嫌う
もしかしたら、そのえり好みこそが、自分自身を悟りから遠ざけているのではないだろうか。

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