ふるふる哲学

今までいろいろな教えに触れてきましたが、私は「神人さん」の教えが、真の教えとしてとてもわかりやすく感じました。 神人さんの教えに興味のある方は「神人講演会」に参加されることをおすすめいたします。

未設定

諸法無我という真理の中で、私という存在をどう説明できるか?

投稿日:

諸法無我
全てのものごとは影響を及ぼし合う因果関係によって成り立っていて、他と関係なしに独立して存在するものなどない、という真理
(こちらから引用:https://www.nichiren.or.jp/buddhism/shaka/02.php)

つまり、「これが『私』です」と示せる実体としての『私』は存在せず、『私』という存在は他との関係性によって成り立っているということなんですね。

「私は学生です」
「私の趣味はスポーツです」
「私は会社員です」
「私はここに住んでます」
これら、ありとあらゆる「私」という存在を説明するものすべては、「私そのもの」ではなく、あくまで「私を作り上げる社会との関係性」を説明しているにすぎない。

「私」という人物そのものを直接的に示せるものは何もないのである。

…というのはたしかに真理である。

が、それでも「私」というものを直接的に説明したい

と考えた時に、

なるほど、これなら直接的に私という存在そのものを説明できるかもしれない、というものがありました。

「私という人生の全歴史」
つまり私の『人生史』そのものが、私固有のものであり、私そのものを説明できる最高の方法ではないかと、
そう思いました。

私という実体をあえて定義するのであれば、
「私という人生の全歴史」が、『私』という実体ではないかと、
そう思いました。

つまり、ここから言えることは、
私を説明するにあたり、
『この世に私が生まれてから今に至るまで、どのような経験をして、どのような出来事が特に印象に残り、どのようなことを学んできて、その結果として、どのようにして今ここにいる私というアイデンティティーが形成されていったか?』
を説明するのが、一番良いのではないかと思いました。

そして、それが『阿頼耶識』であるといえます。

忍者AdMax



忍者AdMax



-未設定

執筆者:


comment

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

関連記事

no image

旧~最新の私の結論~【10月21日更新】

【はじめに】 神人さんが発信されている教えはたしかに凄く良く、とても参考になることばかりなのですけど、とはいえ、神人さんの教えにのみ固執する必要はないのかもしれないとも、そう思ったりもします。 ほかに …

no image

ふと思い出した、目醒めの曲だと思う曲

最近、中村咲太さんが音楽を通して目醒めを発信される活動を始められました。目醒めを音楽を通して発信されている方は、他にもブッダかずひささんという方もおられますが、これらの音楽を通した目醒めの発信という流 …

no image

プロティノスの「一者」、ショーペンハウアーの「一切の認識を超えた世界」とは、仏教のいう「空」である

ショーペンハウアー「意志と表象としての世界」正編第71節の補足でも、「仏教徒における般若波羅蜜多」と書いてあります。 プロティノスも、ショーペンハウアーも、インドや東方の哲学を学んだことが大きく影響し …

no image

現時点での私の中の結論

私なりに今までの得た知識等を総合して考えてみた結果、現時点での私の中の結論は、 『汎経験説』(Wikipediaより:汎経験説とは、現象的意識・クオリアといった心的経験が、脳や神経細胞といった巨視的な …

no image

雑記

物理的には、生物は「遺伝子の乗り物」であることは否定しようがない。 現実世界の法則だけを見ると、人生の目的は単に「自分の遺伝子を残すこと」でしかない。 それ以外の「精神的な人生の目的」に関しては、人類 …