ハイデガーは、『形而上学の根本諸概念』の中で、「虚しさの3段階」を説いている。
・手持ち無沙汰の虚しさ
・パーティーの後、自宅で机に向かう虚しさ
・根源的な虚しさ
このうち、最も重大なのは「根源的な虚しさ」である。
そして、この深い虚しさに目覚めることが大事だとハイデガーは言っている。
では、なぜ根源的な虚しさを抱えるのか?
それは、「何のために生まれてきたのか分からない」からだという。
ニーチェはこう言っている。
「何のために生きるのか?一切は空しい!
人生──とは、からっぽの麦わらをたたいているようなものだ。」
『ツァラトゥストラはこう言った』より
参考:https://true-buddhism.com/teachings/emptiness/
世界の本質は確かに「世界の創造」だ。
だが、創造的欲求が極限まで行った先にあるのは「根源的な虚しさ」である。
極限まで創造的欲求を出し尽くした者が行きつく「根源的な虚しさ」
この境地に達した時に真の人生の目的が見えてくるのかもしれない。
それは、仏教に説かれている人生の目的であり、「涅槃に入る」ことなのかもしれない。