ふるふる哲学

学びの過程を記しています。ブログの各記事は、基本的に「総まとめ」を作成する上での下書きです。

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可能性としてすでに未来は決定しているが、現実としてはまだ存在していないというタイプの決定論的世界である

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~補足1~
論理的に「世界」そのものを語ることはそもそも不可能である。
無限後退… の先に何があるのだろうか… 語ることはできない。
「一者」というのは、そもそも存在をも超越した存在であり、
人が知覚することも想像することも不可能な存在。
証明することも不可能であり、永遠に謎なままであろう。

一者には、「形相(イデア)」が含まれており、「全ての可能性」がその中には含まれている。
純粋記憶には、これまでのあらゆる生命の全記憶が蓄積されている。

「まだないものの予期」をするために、脳は純粋記憶からの記憶を引き出してくる。
その一連の意識の流れが「創造」である。

~補足2~
スピリチュアルの言う魂とは、ベルクソンの言う「持続」である。
魂にあえて目的を定めるなら、魂の目的は「創造」であり、絶え間ない無限の創造である。
創造し続けるのも自由、涅槃に入るのも自由である。

人生において「悔いのない人生」を送れた者は、涅槃に入るのだろう。
言い換えれば、この世に念を残さない人生を送れた者が、涅槃に入れる。

~補足3~
プロティノスの言うところでは、一者は「ヌース質料」を流出させ、「形相」を与えるとあるが、
ヌース質料は、物質世界にある素粒子そのものと捉えて良いのではないだろうか。

我々の意識は、「質料」と「形相」が合わさって初めて意識として存在できるのであり、
形相は意識そのものではないのかもしれない。

一者の中にある形相は、「過去から未来まで」の宇宙の全歴史の可能性がそこにはある。
だが、質料と合わさっていない形相は、一者の中にだけ存在し、非存在なので実在はしない。
質料と形相が合わさることで、可能性が現実化し、現実化した経験(質料と形相が合わさったヌース)が純粋記憶に蓄積されていくのであろう。

ゆえに、可能性としてすでに未来は決定しているが、現実としてはまだ存在していないというタイプの決定論的世界であると思われる。

~補足4~
ゴットフリート・ライプニッツというドイツの哲学者がいる。
彼の哲学は「モナド論」と言われている。
場は「モナド」というそれ以上分割不可能な存在で満たされており、
全ての存在は、モナドが集まることで創造されている。
そして、個々のモナドには全ての表象を可能にする全ての情報を持っており、
神に可能な最善の世界が、モナドによって予定調和で表出されている。

このモナド論を踏まえて考察すると、
神は一者と捉えることができるから、一者には宇宙の全情報が含まれているということになり、また一者から流出した素材にも全情報が含まれているということになる。

そして世界は、神によって事前に「予定調和」として設計されているのである。

そしてこのモナド論は、重力理論と量子力学を統合する可能性のある「ループ量子重力理論」と非常に似た概念であると言える。
ループ量子重力理論は、時空の量子化であり、最小単位の量子が相互作用することにより時空全体が表象する「スピンネットワークによる表象」である。
そして、その量子には「全てのパターンを表現する情報が備わっている」とされている。

~補足5~
ドイツの哲学者イマヌエル・カントは、認識論におけるコペルニクス的転回をもたらした。
カントのテーマは「アプリオリな総合判断はいかにして可能か?」であった。
そして、カントの言う「アプリオリ」な原理を、スイスの精神科医・心理学者のカール・グスタフ・ユングは「集合的無意識」として発見したのである。

元型という全人類共通のイメージがあり、シンクロニシティとは元型が表層世界に出現した事象のことであり、それが集合的無意識というアプリオリの根拠となる。

アンチノミーについて、
1:時空に始まりがある or 始まりはない

この両者を止揚する考えは、
「時空の存在する世界」と「時空の存在しない世界」があり、「時空の存在しない世界」から「時空の存在する世界」が生まれた、ということになるのではないだろうか。

時空の存在しない世界をプロティノスは「一者」と呼び、
一者から「時空の存在する世界」が生まれた。

一者には、時間という概念や空間という概念が存在しないので、始まりも無ければ終わりも無い。

2:分割不可能な原子から構成されている or そのようなものは存在しない

これは、「時空の存在する世界」は、分割不可能な原子から構成されており、
「時空の存在しない世界」は、原子という概念も存在せず、全てが全一である、と解釈することができる。

3:自由意志はない or ある

これは、「時空の存在する世界」側から見たら「自由意志は無い」という結論に至るが、
「時空の存在しない世界」側から見たら「自由意志はある」という結論になるのではないだろうか。

つまり、一者の視点から見たら自由意志はあり、一者から生まれた現実世界側から見たら自由意志は無いということになる。

4:神は存在しない or 存在する

これは、「時空の存在する世界」から見たら「神は存在しない」となるだろう。
だが、「時空の存在しない世界」から見たら、その世界そのものが必然的存在であり、一者は神そのものであると考えることができる。

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