ふるふる哲学

学びの過程を記しています。ブログの各記事は、基本的に「総まとめ」を作成する上での下書きです。

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自由意志と決定論

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自由意志は存在しないというのが、科学の定説になっているとのことです。
けど、「自由意志」というこの主観的な感覚は実際に存在します。
それにもし、本当に自由意志は存在しないのであれば、「なぜ主観的な意識というこの今感じている感覚があるのか?」と私は疑問に感じざるおえません。

そこで、私が思い出したのは…
『水槽の脳シミュレーション仮説』という類いのシミュレーション仮説です。

実際にこの「人生の物語」というのは、あらかじめ全て決まっている決定論的世界ではあるけど、
そのあらかじめ決まっている人生の物語を「シミュレーション」として経験している、水槽の脳がある側の世界があるのではないか?と思うのです。
それを想定することで、「なぜ主観的な意識というこの今感じている感覚があるのか?」の疑問が解消されるような気がします。

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