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2021/11/28 -未設定
仏教、キリスト教、イスラム教の共通点に気付きました。 お釈迦様も、イエス様も、ムハンマド様も、「瞑想」をしているという点です。 もう1つは「煩悩(欲)を捨てる」ことを良しとしている点。 さらに、仏教に …
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初期中期プラトンのイデア論か?それとも後期プラトンのデミウルゴスか?
2021/11/25 -未設定
初期中期プラトンのイデア論は、よく知られたプラトンのイデア論であり、「魂の想起説」や「輪廻転生」の概念などで有名。 対して、後期プラトンの哲学は「デミウルゴス」という神が登場し、イデアという概念は「形 …
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2021/11/25 -未設定
もしイデア論が正しいとしたら、魂がイデアから現実世界に降りてきた理由は、「自然や社会との関係」にあるのではないかと、そう思いました。 イデアの世界は、クオリアのみの世界であり、ある意味悪い意味で言えば …
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2021/11/18 -未設定
快楽と苦痛は表裏一体である。 それが、我々が「存在している」ということである。 存在するから、快楽と苦痛という表裏一体の現象が表れる。 ニーチェはこう言った。 「大きな苦痛こそ精神の最後の解放者である …
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2021/11/17 -未設定
仏教においては、「六道」または「五道」といい、上は「天道」、下は「地獄道」がある。 また、ゾロアスター教およびアブラハムの宗教においては「最後の審判」という概念があり、天国か地獄行きかを決定される。 …
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2021/11/15 -未設定
「神との合一」は、「死」によって必ず達成される。 「死」の先にあるのは、仏教でいう「空」であり、それすなわち「神との合一」である。 世界に意識はひとつ、という考えがあるが、私という意識と、あなたという …
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2021/11/15 -未設定
キルケゴールは、人間の実存には3つの段階があると言い、「宗教的実存」は、その3段階目で、「死に至る病(絶望)を自覚し、単独者として神と一対一で向き合うことで本来の自分を取り戻す段階」としています。 こ …
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意志はいかなる目標も限界もない。 意志は終わるところを知らぬ努力である。
2021/11/14 -未設定
ショーペンハウアー(著)「意志と表象としての世界」第29節:意志はいかなる目標も限界もない。 意志は終わるところを知らぬ努力である。 を読んで、はっとさせられました。 人生とは終わり無き努力であり、こ …
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2021/11/11 -未設定
「真理」は、東洋哲学と西洋哲学を融合した先に見えてくるように思えます。 古い年代順に、東洋と西洋の融合が図られた哲学は ●プロティノス ⇒ 新プラトン主義 ●ショーペンハウアー ⇒ 意志と表象としての …
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2021/11/05 -未設定
世の中には、様々な物や知識に溢れている。これらの多くは、人間の手によって生み出されたものである。 だが、人間の手によって生み出されたものはいつかは消えてしまう。いや、世界にあるあらゆる目の前にある自然 …